story
ジューサー

その時につくる、そのひと手間で随分と違うものです。

 

 

juicer1

 

 

ジューサーとして、果物でフレッシュジュースを作っていただけるのはもちろんですが、レモンなどの果汁とオリーブオイル、お酢、塩や醤油、だしと合わせれば、オリジナルドレッシングも作れます。種は受け皿に残り、絞った果汁はポットに落ちますので、そこへ調味料を加えて、そのままポットだけを食卓へ。

 

 

juicer2

 

 

山の円すい形はふっくらと丸みがある一方で、しっかりと絞りきれるように、溝はとてもシャープに仕上げられています。ポット部分にはハンドルが付けられているので、単体でもお使いいただけます。また、注ぎ口は、他の部分より釉薬を薄く仕上げることで、切れがよく仕上がっています。
春夏は朝のジュース作りに、果汁を炭酸水で割るのもよさそうです。冬は鍋料理に合わせて、オリジナルのぽん酢などを作っていただけるので、通年で使っていただけます。日常の脇を固めてくれるでしょう。卓上にあるだけでサマになります。

明快な形と細かな気配りが光るひと品です。

 

 

デザイン: 猿山修

製造: 白岳窯

制作: 東屋

生地: 天草陶石

釉薬: 石灰釉

 

size: w140. x d95. x h107. (mm)

price: ¥3,100 +tax.

 

発送も承っておりますので、電話メールでお気軽にご質問ください。

RICORDO

items|2015年10月26日 12:00
kasumi

 

 

kasumi1

 

 

「霞」

日本という土地は湿度を含んだ空気に覆われていますが、そのベールを普段は意識することは余りないでしょう。しかし、遠く離れ景色がにじむように見えたときに「何か」の介在を感じます。その瞬間、空気中に含まれるものがぼんやりと存在することで、空気や光を意識させるのだと思います。

山腹など遠景に霞がかった淡い風景を見ると、意識が遠くなるような、それでいて不思議と安堵感がおとずれます。
文学上は霞は春の季語、霧は秋の季語とされますが、霞がった風景は夏にも冬にも見ることが出来ます。それだけ日本の風土を表している状態といえるでしょう。

 

 

kasumi2

 

 

製造はfrescoによるもので、作り方は型を使わない宙吹きでの制作。透明のガラスをベースにして、色ガラスのパウダーを2色使用。制作途中でランダムに面を作ることでガラスの厚みに変化をつけていきます。こうすることで仕上がりの形が歪み、またパウダーの粒子感が色の濃淡を生じさせ、盛り付けていただくお料理を色のベールが包みます。

形状はプレートとボウル。ボウルは底がすぼまる形状のため、盛りつけていただくと見栄えもよし。

色展開は5色。同じ色で揃えていただいても、色のニュアンスやかたちも全て違うためテーブルに程よいリズム感が漂います。また、違う色で組み合わせていただくのもおすすめです。サイズもXS, S, M, Lの5サイズご用意しており、使い方にあわせてお選びいただけます。あるいは、大きさと色を変えての組み合わせもすてきです。

使い方はワンプレートからケーキ皿、フルーツ、サラダボウルなど、食卓にはもちろん、大きいボウルであれば花器にもお使いいただけます。

落ち着いた色味と淡い表情ですので、通年で使えて、お手持ちの器ともコーディネートしていただき易いかと思います。何より食卓にガラスのものがあると雰囲気が華やぎます。

 

 

kasumi3

 

 

size: bowl/ SS Φ130. x h40.  S Φ180. x h50.  M Φ240. x h70.  L Φ300. x h90. (mm)

plate/ SS Φ160. x h20.  S Φ190. x h20.  M Φ240. x h25.  L Φ300. x h30. (mm)

color: brown-green, grey, ivory, purple, brown-yellow

price: ¥3,800〜¥13,200 +tax. 形状, サイズにより変わってきます, お問合せください.

 

サイズ、カラーともに個体差がございますので、目安となります。在庫状況によっては、同じサイズ、カラーのなかから、お好みのものを選んでいただける場合があります。発送も承っておりますので、電話メールでお気軽にご質問ください。

RICORDO

items|2015年5月19日 12:00
猿山修の洋食器

 

 

saruyama-okada1

 

 

*こちらの品は生産終了となりました。僅少ながら在庫ございますので、気になられた方はお早めお問い合わせください。連絡先は文末を参照ください。

“日本の洋食器”

こちらは、そういった意図により生まれた器群です。

日本の食卓になじむように配慮された寸法、また食器を手に持って食事するという日本の文化を考慮した、手にした時の重さと収まり、「手取りの良さ」と言われるポイントですね。また色味も磁器のパキッとした白とは雰囲気の違う暖色系に寄った白の表情。食卓をさっぱりと、でも心地良く彩ってくれそうです。

こういったサイズ、重さ、色の組み合わせにより、スッキリとしていて柔らかさもありながらベタッとしていない、気持ちのよい距離感の器に仕上がっています。

一見してシャープで端正な形でありつつ、思わず手が伸びる親しみやすさも醸しています。そして手に取り、よく見ると全体の佇まいに柔らかさがにじんでいる。その印象はどこからくるのか。そう思わせられるポイントを少しご紹介します。

 

 

 

saruyama-okada2

 

肌理の印象に貢献しているのが釉薬のたまりの表情です。
この器は石川県にて作陶されている陶芸家、岡田直人さんの手により、ろくろで手挽きして作られています。それらを釉薬に1つずつくぐらせることで、ろくろの勢いを留めたシャープなラインを釉薬が不均一に包んでいます。つい指先で触ってしまうポイントです。こういった絶妙なゆらぎを内包することで、器との親密感が増す印象があります。

 

 

 

saruyama-okada3

 

また、底の高台部分はツメ焼きで仕上げられています。成形後、丸めた粘土の粒をつけた状態で釉掛けをして、焼成した後にその粒を外し、磨いて仕上げます。工程が増えますし、手間もかかる作業です。ただ、こうすると釉薬の掛かる部分が増えるので、接地面への傷もつきにくくなります(見た目もちょっと愛らしかったり)。

このツメ焼きというのは、オランダのデルフト焼きのアンティークの物に見られるディティールであります。古物にも造詣が深い、デザイナーである猿山修さんの配慮と好みがよく現れている箇所です。

 

 

 

saruyama-okada4

 

形はとてもプレーンなお皿(プレート1)。そこから少し縁が立ち上がった形状(プレート2)。手にしっかりと収まるボウル、の3種類をご用意しております。直径はボウル/ 100mm〜お皿/ 270mmまでと、サイズも豊富です。それぞれに重ねて収納もできますし、組み合わせても頂けます。
食卓の主役になる頼もしい大きさの器、パスタなどの一品料理、銘々皿、少し寒くなってくれば欲しくなるスープ類、鍋や煮込み料理の取り皿にもよさそうです。様々な料理に役立ちますし、このサイズと色味であれば、お手持ちの食器類、北欧系あるいは和食器とも馴染みます。

大変にさり気なく、だからこそ食卓全体のベースをしっかりと支えてくれます。

 

 

デザイン: 猿山修
制造: 岡田直人
制作: 東屋
生地: 半磁器土
釉薬: 透明釉

 

size: プレート1/ Φ150. x h18.  Φ180. x h21.  Φ210. x h24.  Φ240. x h27.  Φ270. x h30. (mm)

プレート2/ Φ150. x h29.  Φ180. x h35.  Φ210. x h40.  Φ240. x h46. (mm)

ボウル/ Φ100. x h43.  Φ135. x h58.  Φ165. x h70.  Φ198. x h84 (mm)

price: ¥4,000〜¥11,000 +tax. 形状, サイズにより変わってきます, お問合せください.

 

個体差がございますので、サイズは目安となります。発送も承っておりますので、電話メールでお気軽にご質問ください。

RICORDO

items|2014年12月2日 12:00
SATOMI KAWAKITA JEWELRY

 

RICORDO で取り扱いをさせて頂いております SATOMI KAWAKITA JEWELRY.

 

 

SKJring

 

 

 

ジュエリー自体の魅力はもちろん、ちょっとしたご縁もあって、開店時から取り扱っておりますが

最近、NYはロウアー・マンハッタンのTriBeCaにショップ&ファクトリーをオープンされました。

以下英語による紹介記事ですが、写真がたっぷりあり、Satomi Kawakita Jewelryを表す際に言われる

有機的、オーガニックな雰囲気、ショップの空気感、ジュエリー達が生まれてくる過程の片鱗が感じていただけるかと思います。

 

10 Second Studio Tour: Satomi Kawakita Jewerly

Where Satomi Kawakita Crafts Her Teeny Tiny Diamond Jewelry

New Kid on the Block: Satomi Kawakita

 

個人的な印象を述べさせていただくなら、ラフでありながら、贅沢さ、心地よさを感じられる。

パーソナルなスタイルに寄り添い、微かに存在を示すジュエリー。

ぜひ一度身につけて頂きたいです。

items|2014年7月31日 12:00
venetian classics

こちらは items という名前からご想像のとおり、当店で取り扱っている品物のご紹介をさせて頂くカテゴリになります。最初に何からはじめようかと思案しましたが、こちらにしてみることにいたしました。

 

vc

 

この”venetian classics”のご紹介をさせて頂くことでRICORDOという場所、空間が成り立った背景のご紹介にもなりますし、またそれはブログにstoryという名称が付いている表れにもなるのではないかと考えました。

 

あ、あらかじめお断りしますが、長文です。。

 

さて、このvenetian classicsをご覧になられた方からは「アンティークですか?」「外国のものですか?」というお声を頂くことが多いです。それらは率直に、形が日本のものとは違う印象を持たれるからかもしれませんし、また所謂ヴェネツィアン・グラスを想起されるからかもしれません。

 

この”ヴェネツィアン・グラス”という名称はその名の通り、イタリアはヴェネツィアで作られたガラスの呼称です。そしてそれらの大半は華やかな極彩色のガラスが用いられています。私もムラノ島を訪れた時に見ましたが、夏の強い陽射しと抜けるような青空、海を背景に見た色とりどりのガラスは見事なものでした。

さて、ここでお気付きの方もいらっしゃるでしょうが、現地のヴェネツィアン・グラスは極彩色で形作られていますが、venetian classicsのシリーズは全て透明のガラスで作られています。また、サイズも日本の住空間を意識して、やや小ぶりに作られています。ですが、おおよそのイメージとして”ヴェネツィアン・グラス”として思われたりもするわけです。これは、それだけ”ヴェネツィアン・グラス”という形式が完成されているからでしょう。

 

ここからは、歴史をふりかえってみます。

イタリア各地では紀元の初め頃からガラス工場がつくられ、ヴェネツィアではローマ時代から伝統的なガラスがつくられていました。また、ビザンティンの宗主権下に置かれたことで海商の本拠地という性格が強く、1104年にはドージェ総督のもとヴェネツィア人が「海軍工廠」(アーセナル)と呼ぶ巨大な国営造船所を建設することで強力な海軍国になりました。そして、1140年頃ヴェネツィアとジェノヴァを中心とするイタリア沿岸諸都市が、それまで地中海沿岸を制圧してたイスラム艦隊を破った後は地中海の交易ルートを掌握することに成功。海賊を鎮圧したことで商業活動が活発になり、イタリア沿岸諸都市は東方交易による膨大な富を得、後のルネッサンス運動の経済的基盤をつくることになります。

 

1291年ヴェネツィアはガラス工場をムラーノ島に集中移転します。この時期のヴェネツィアはジェノヴァに抑えられ苦しい時期でありましたが、皮革、羊毛、レース等の各工場の再配置を進めていきます。ムラーノ島のガラス工場は強力なギルドを設立し、ガラス組成、デザインの開発製造を行い、同時にそれらの秘密を厳格に守ります。

 

ヴェネツィアは都市国家であり、また海洋国家であったことでイスラムやビザンティンの文化を知ることができました。その影響で容器や日用品がつくられると同時に、アラビアの科学との接触機会が多い影響で理化学用のガラスもつくられました。13,4世紀にかけて老眼補正用、近眼用の凸凹レンズの製作、錫アマルガム法によるガラス鏡が発明され、ガラス工業の基礎ができあがります。なかでも、ガラス鏡はこの後400年もの期間に渡りヨーロッパ各地に輸出されました。

 

ガラスの素材、技法に注目してみますと、14世紀初頭からヴェネツィアで「クリスタッロ」と呼ばれる、マンガンを消色剤として使った無色透明のソーダ石灰ガラスをAngelo Barovier (アンジェロ・バロヴィエル)が開発します。今では「ガラスといえば透明」ですが、この時までは完全に近い透明のガラスは無かったのですね。

このクリスタッロは北ヨーロッパからは羨望の的であり、18世紀まで最高級の鏡として愛用されます。また16世紀頃からはクリスタッロで作られたゴブレットもみられます。他にも「エナメル彩ガラス」「レース・グラス」「ミルフィオリ」「エングレービング」等など、多くの技法が開発されます。

 

こうしたムラーノ島で起こったガラス製作はヨーロッパ各地に影響を及ぼし、どこでもヴェネツィア様式でガラスをつくるようになり、ヴェネツィア製と他の都市でつくったものの区別がつかなくなります。1490年には技術を持ちだしたり、他国から再びヴェネツィアへ帰ろうとするガラス職人への報復措置、処罰が制定されます。

しかし、こうした脅しにもかかわらず職人たちは技術提供のためヴェネツィアを離れ、やがて17世紀にはヴェネツィアングラスの影響力は弱まり、さまざまな様式や新たなガラスの組成も開発されます。また、窓ガラス、鏡の大量製造がフランスで成功し、ガラス工業の中心が南ヨーロッパから北ヨーロッパへと移ります。

 

技術の流出には職人の移転もありますが、様々な出版物によりガラスの製造法が明らかになったという別の視点もあります。また、北ヨーロッパが貪欲に新しい技術を生み出していこうという気概にあふれる一方、ヴェネツィアのガラス職人はそれまでの製品に満足し、他の都市で働く弟子や仲間に比べると着想や創造性の点で一歩下がったようになってしまったこともあったそうです。

そしてついには以前輸出していた国のガラスがヴェネツィアへ輸入されるようになってしまいます。さらには1607年、ヴェネツィアへのガラスの輸入を禁ずる法令が施行されます。

 

16世紀末には約3000人のガラス職人がムラーノ島で働いていたが、1773年には330人、さらに19世紀初めにはヴェネツィアのガラス製造は実質的に途絶えてしまいます。現在の形で復活できたのは19世紀中期に弁護士サルヴィアッティと修道院長ザネッティの働きによるものです。

 

そうして復活したヴェネツィアン・グラスは今日でもなお、観光地の土産物として職人、その家族、それに関わる人の生活を支えているのです。が、しかし、かつては国益を左右するような一大産業だったことから比べれば観光地の土産物というのは華やかさに欠けるものとも考えられます。何も土産物が良くないというわけではありませんが、所謂”土産物”というのは油断すると形骸化し易いものです(その独特の陳ねた味わいというのもありますが)。また、そういった華やかさに欠ける産業、市場には若者は近づかないものです。そうです、後継者難です。

 

そんな状況をただ是としなかった人物がいます。Lino Tagliapietra(リノ・タリアピエトラ)です。彼は700年以上に渡り継承されてきたヴェネツィアングラスという伝統、技術の継承を憂慮していました。そして、そこに1人の人物との出会いがあります。Dale Chihuly(デイル・チフーリ)です。チフーリ氏がイタリアを訪れた時にタリアピエトラ氏と出会い、マエストロはアメリカで勃興しつつあったスタジオグラス・ムーブメントの香りを感じ、アメリカに渡る決心をするのです。

 

スタジオグラス・ムーブメントとは1960年代後半にアメリカで興った動きです。それまで工場などの大規模で大量生産に要請される素材であったガラスをアーティスト達が自身の表現媒体とする為にアトリエに溶解炉を設けたことがはじまりとなっています。おそらくアメリカのDIY精神やカウンターカルチャーといった時代背景、気分といった後押しも伴った(と私は想像するのですが)このアメリカ東部からはじまったムーブメントが西海岸に到達し、71年、シアトルに「Pilchuck Glass School (ピルチャック グラス スクール)」という学校が設立されました。この学校の創始者こそが先程のチフーリ氏なのです。

 

さて、そんなチフーリ氏を介してタリアピエトラ氏はヴェネツィアングラスの技術を携え北大西洋を渡りました。これまでも技術が流出することはありましたが、マエストロ自ら、ということは初めてのことだったでしょう。近代のガラス工芸の歴史から観れば大きな転換点、事件といえるでしょう。
そして、アメリカのアーティスト達はその技術を歓迎、受容し、やがて10年ほどで世界中に拡がることとなります。

 

と、ここまではガラスの歴史を振り返る昔話でしたが、ここで今現在へと直接繋がってきます。
“venetian classics”の作者である辻野剛は10代後半に「世界現代ガラス展」を見て、自身でも作ってみたいと思い最初は国内の教育機関、後にさらなる技術習得、発展を求めてアメリカに渡ります。そして、そこでタリアピエトラ氏の技術に出会ってしまうのです。それを目の当たりにした時のことは、まるで魔法のようで、その光景は今でも目に焼き付いているそうです。

 

辻野剛はアメリカ各地の工房で研鑽を積んだ後に帰国。国内でもガラスの仕事に携わった後に自身の工房であるfrescoを起ち上げます。frescoとしては日常生活の中に手作りのガラスで出来たもの使うというスタイルを提案する一方、個人の作家として作品発表も続けていました。venetian classicsもそういった作品群のひとつです。

 

ある時にvenetian classicsが燕子花のかたの目に留まり展覧会を催すことなります。そこで、その展覧会に小林和人氏が来場し、やがて仕事をご一緒にすることになるのです。小林氏は吉祥寺の OUTBOUND / Roundabout の店主であり、当店のオープンにあたり内装や什器の見立てなど多大なる助力をしてくださいました。そうした縁に取り持たれRICORDOという場所は成立することとなりました。

 

話は”ヴェネツィアン・グラス”へと旋回しますが、この呼称はヴェネツィアで作られた品物にのみ許可された名称です。といいますのも、現在では中国や東欧からガラス製品を輸入してヴェネツィアでヴェネツィアン・グラスとして販売する業者もあるから、ということだそうです。歴史を知ると何とも言い難い状況ですね。さらにまた、歴史を知ると、透明で作られたvenetian classicsというものが歴史を圧縮した品にも思えてきます。

 

 

ヴェネツィアでアメリカから来たチフーリ氏とタリアピエトラ氏が出会い、一大決心のもとアメリカへ渡り、アメリカで日本から来た辻野氏がタリアピエトラ氏の技術を目の当たりにし、そこから生まれた作品が燕子花へと繋がり、取り持たれた縁で小林氏へと。

 

さまざまな人の情熱により続いてきたヴェネツィアングラスの技術は、辻野剛の”venetian classics”という表現として今ここに息づいています。

 

vcshadow

 

 

黒川 高明 「ガラスの文明史

辻野剛 「澪標 -スタジオグラス(1)-

 

 

初回で、扱ったものがものということもあり、大仰になりましたが、次回からはもっと気楽なものにしたいと考えています。

ここまで読んでくださった方(いらっしゃいましたら)ありがとうございました。

 

 

items|2014年3月30日 12:00
↑